亀形石の隣に湧水施設
国家的祭祀(さいし)の場か
明日香・酒船石遺跡
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 奈良県明日香村の酒船石遺跡(七世紀中ごろ)で出土した亀形石造物南側で、レンガ状
の石を積み上げて造った湧水施設が新たに見つかり、同村委が平成12年5月24日、発表
した。湧水施設は噴水塔から水を石造物に流し込んでいたらしい。飛鳥の水にかかわると
される石造物で水源まで判明したのは初めて。現在も水が大量にわき出しており、酒船石
遺跡は斉明天皇が国家的な祭祀(さいし)を行った場所との見方が強まっている。
 
 
写真は、すべて南 賢一が平成12年5月28日(日)現地で撮影
 
 湧水施設は南北に並ぶ亀形と水槽形の各石造物からさらに南の丘陵すそで出土。東西1.8
メートル、南北2.4メートルを掘り込み、高さ約1.3メートルまで積み上げたレンガ状の
砂岩の切り石で囲まれていた。その中央部に切り石を積んで造った高さ約1.3メートルの
噴水塔が設けられていた。内部が空洞の噴水塔は頂上部の注ぎ口から木樋(もくひ、木製
の樋(とい))などを通じ、約2.5メートル離れた水槽形の石造物まで水を流し込んでい
たらしい。
 水槽形石造物にたまった上澄み水は亀形石造物に移る構造で、全体が浄水装置だったと
考えられている。
 水槽形石造物の周囲では、平安時代の土器や銅銭が出土。同遺跡は九世紀後半までにさ
まざまに改修された後、十世紀初頭に埋没したとみられ、平安時代まで数百年関、施設が
機能していたらしい。
 また、施設北側の石敷き広場を発掘したところ、亀形石造物から北に延びる排水溝の西
側に、切り石の暗きょが長さ15メートルにわたって見つかった。下層に切り石が敷かれ
ているのが確認されたことから、築造当初は広場全体が切り石で敷きつめられていた可能
性があるという。
 網干善教・関西大名誉教授(考古学)の話 「亀形石造物のある広場は、祭祀や宗教的
な行事の場となっていたのではないか。これまで藤原京、平城京に都が移った直後に飛鳥
は廃絶したと考えられていた。しかし、、平安時代まで酒船石遺跡が機能していたことが
分かったことで、飛鳥寺や川原寺が焼けた鎌倉初期まで、寺院など宗教施設を中心に飛鳥
の景観が維持されていた可能性が強まった。」
  平成12年5月25日(木)付け産経新聞掲載
  
 
石敷き下に暗きょ 明日香・酒船石遺跡で発掘
 
湧水施設など改修 10世紀初めまで使用か
 新たに水源となる湧水施設が見つかった高市郡明日香村の酒船石遺跡の発掘調査では、
亀形石造物の北側に広がる石敷きの下に、暗きょが設けられており、石造物や湧水施設が
十世紀初めごろに埋まってしまうまで、さまざまな改修が加えられ、使われていたことが
平成12年5月24日(水)明らかになった。
 暗きょはレンガ状の砂岩の切石(長さ30cm、幅20cm、厚さ15cm)を溝の両側に立て
並べて、底に小石を敷き詰め、砂岩の切石でふたをした構造で、幅約20cm、深さ約20cm。
 南北方向から東西方向に曲がる屈曲部分の約5メートル部分が見つかっていて、全体は
石造物が設置されている広場の最南端から北側に約11メートル伸びて、東側に曲がり、
亀形石造物の北側にある南北溝に接続していたらしく、南側の水を排水するために設けら
れたのではないかとみられている。
 また、湧水施設では、噴水塔の北側に盛り土をしたり、平安時代ごろに新たに木製の曲
げ物を井戸枠にして、水をくみ上げるようにするなど、改修されており、亀形石造物に水
を入れていた水槽形の石造物の周りには、九世紀後半ごろに新たに小石を敷いて、十世紀
初めごろに埋没するまで、使われていたことが分かった。
 これまでの調査で、亀形石造物の北側の石敷きは、河原石の石敷きの下で砂岩が見つか
ったことから、広場が造られた当初は砂岩の切石を敷いていたのを、花こう岩の石敷きに
改修するなど、数回の改修が行われていることが分かっている。
 今回、石造物の周辺や湧水施設でもさまざまな改修が行われていることが明らかになり、
明日香村教育委員会は「亀形石造物の機能や性格は変化していたと考えられるが、石造物
などは十世紀初めごろまで使われていたようだ」としている。
  平成12年5月25日(木)付け産経新聞奈良版掲載
 
  
   酒船石遺跡
 酒づくり使われたとも、祭祀に使われたともいわれている。
この酒船石に水が流れ込む水樋のあとが見つかっている。
この酒船石の75m北に亀形石造物が見つかった。
 
”聖なる空間”全容明らかに
250年間に4回の改修判明
 
 亀形石造物を置いた大規模な石造りの施設後が見つかった奈良県明日香村の酒船石遺跡
で、新たに石段や石組溝などが出土し、同村教委が12日、発表した。亀形石造物も七世
紀後半に、底上げされて据え直されるなど、施設が造られたとされる斉明期の七世紀中ご
ろから十世紀初めまでの二百五十年ほどの間に、計四回の改修が行われていたことが分か
り石造りの”聖なる空間”の全容が明らかになった。
 村教委が、亀形石造物や石敷き広場の北側を発掘調査そたところ、石造物から流れ出る
水を排水する幅1.6メートル、深さ50センチメートルの石組み溝や、高さ2.6メートルの
石段、張り出し床とも見られる柱列が新たに見つかった。
 出土した土器片などからこの施設は、七世紀中ごろ→七世紀後半→七世紀後半−同末→
九世紀→九世紀後半の五世紀に別れることが判明。二期目にあたる七世紀後半には、石組
み溝の両側に石段を設けるなど、大規模な改修が行われており、水源となっていた湧水施
設の石材が積み直された痕跡があることから、村教委では、湧水施設とつながっていた亀
形石造物もこの時期に、当初から50センチメートル以上も底上げして据え直されたとみ
ている。
 この大規模な石造りの施設は、丘陵の尾根に挟まれた狭い空間に、さまざまな石の構造
物を配置した閉鎖性の高い施設の全容が明らかになった。
 同遺跡調査整備委員会委員長の門脇禎二・京都橘女子大教授(古代史)は「(施設は)
閉鎖された空間だったことがハッキリとし、水の流れを利用した祭祀を行った場所だった
と考えられる」と話している。
  平成12年10月13日(金)付け産経新聞奈良版掲載
平成12年11月19日(日)現地で撮影、石積みはくずれてくるのを防止するため埋めてありました。
右手が亀形石造物、酒船石と続く。
 
7世紀後半の石敷き
奈良・明日香酒船石遺跡雨槻宮の一部か
 
 奈良県明日香村の酒船石遺跡で、七世紀後半ごろの石敷きや石組み溝跡などが、同村教委の
発掘調査で(平成十三年三月)三十一日までに見つかった。飛鳥時代の女帝・斉明天皇が造営
した雨槻宮(ふたつきのみや)や天武天皇の飛鳥浄御原宮(きよみはらのみや)との関連が注
目されている。
 発掘調査したのは雨槻宮の一部とも考えられている石垣遺構が見つかった丘陵の西麓。こぶ
大から人頭大程度の石を敷いた石敷きのほか、幅約2.5メートル、深さ約1メートルの石で
護岸した遺跡や、石垣にも使われていた砂岩の加工石を底に並べた排水用の小遺跡が見つかり、
出土した土器片から天武朝の七世紀後半ごろの施設とみられる。
 これまでの調査で、北東側にある亀形石造物が見つかった広場も、天武朝ごろに石敷きとな
っていたことが分かっており、関連性が注目される一方、雨槻宮の一部とも見方も出ている。
猪熊兼勝・京都橘女子大教授(考古学)の話「日本書紀には持統天皇(七世紀後半)が雨槻宮
に言ったという記述もあり、この時の雨槻宮の一部だと思う。亀形石造物周辺の遺跡と一連で、
想像をこえる施設だったのではないか。」
  平成13年4月1日(日)付け産経新聞掲載
 
                      平成13年4月14日撮影、発掘現場はうめもどしてありました
 
平安時代のバラス敷き
酒船石遺跡 導水施設はなし
 
 大規模な導水施設が見つかった明日香村岡の酒船石遺跡で、平安時代のバラス敷きが村教委の調
査で(平成十三年十月)十二日までに見つかった。湧水(ゆうすい)施設の背後に導水に関係する
遺構はなく、取水搭の下からわき出した水を亀形石造物などに流していた可能性が強まった。同遺
跡の調査整備委員会(委員長=門脇禎二・京都橘女子大学教授)は、今回の調査区も公開の対象に
することを決めた。
 砂岩を組んだ取水搭の周辺約四百五十平方メートルを七月から発掘調査している。平安時代のバ
ラス敷きは東西十一メートル、南北六メートル。取水搭は平安時代までに埋められ、上面に砂利を
敷いていたことが分かった。
 以前の調査で井戸枠に使った木製の曲げ物が出土しており、井戸の周辺がバラス敷きだったらしい。
 飛鳥時代の遺構は砂岩を積んだ石垣(長さ4.5メートル)などで、酒船石のある丘陵から水を引
くための施設は見つからなかった。
 同村は亀形石造物を中心とする約二百六十平方メートルを埋め戻さずに公開する方針で、今年度
中に見学施設を整備する。公開に耐えられるよう、石敷きの保存処理も行う。
 十一日に開かれた調査整備委員会では、遺構に傷みの兆候が表れた場合は埋め戻しも含めて対応
することを確認。一方で、今回見つかった平安時代の遺構も公開対象とすることで一致した。
 
2001年(平成13年)10月13日(土)奈良新聞掲載
 
亀は万年 奈良・酒船石遺跡で保存作業
 
 亀の形をした精巧な石像物が出土した奈良県明日香村の酒船石遺跡(飛鳥時代)で3日,亀形
石を含む石敷き遺構を保存処理する作業が始まった。村教委が進めており,11月末をめどに終
了させる。周囲に芝を張ったり,一般の見学スペースお設けたりする整備案も近く検討される。
保存作業は敷石の1個ずつに水を吹き付けて泥や苔を洗浄。1週間ほど乾燥させた後,石を固め
るための強化剤を吹き付ける。さらに約2週間後に酸性雨対策として水をはじく薬を吹き付ける
という。
 
西暦2001年(平成13年)10月4日(木)朝日新聞掲載
 
 
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